peach's blog

北陸のお酒や温泉をメインに徒然と綴っています。

 

珠姫ゆかりの地で食す禅味一体の手打ちそば 金沢市「小立庵(しょうりゅうあん)」

金沢には手打ちそばのお店が多いが、今回紹介の「小立庵(しょうりゅうあん)」はそばと金沢観光がセットで出来る珍しいそば屋だ。
まず小立庵の場所だが金沢市の小立野台地(小立野寺院群)にある天徳院の隣にある。
天徳院は加賀藩三代藩主・前田利常の正室「珠姫」の菩提寺であり、小立庵は天徳院にあった尼寺を改築してそば屋として営業している。
そのため、食事と加賀藩前田家の歴史を知ることが出来るユニークなお店となっている。
 ※小立庵と天徳院は独立しているので、どちらも食事代や拝観料がそれぞれ必要。
  また、珠姫や小立野寺院群に関しては、ページ下部に解説を記載しているので
  興味がある方は読んでみてください。

外観はお寺と言うよりも割烹料理屋の佇まい。中は畳のため入口で靴を脱いで上がる。
店内は広い畳の部屋にテーブルが置いてあり、畳に直に座る。
元々が尼寺なので店内は広い畳敷きの部屋が多く、観光客や法事等で大人数での利用も可能だ。
小立庵のそばは、白山市鳥越村のそば粉と、日本酒で有名な福光屋が酒造りで使う天然の地下水を用いて作っており、細めで雑味が少ない。またメニュ「禅味一体」が基本となっており、各メニューが精進料理の様に作られている。そばを中心とした精進料理が味わえるのが小立庵の魅力だ。
そんな小立庵でのおススメが昼膳の天ぷら膳(1,000円)だ。そばと天ぷらの他、いおりご飯やごま豆腐等が付いてこの値段。そばも美味しいがその他の精進料理もまた美味。畳座敷の部屋でこのお膳を食べていると高級料理を食べているような雰囲気になる。食べ盛りにはちょっと量が少ないかもしれないが、落ち着いて蕎麦会席を食べたいならちょうどいい場所。天ぷら以外にも刺身膳(1,200円)もあるので、二人で来てシェアするのも良いかもしれない。
休日等は団体客で騒がしい日もあるが、小立庵でのそばランチと小立野寺院群の観光プランは金沢旅行では鉄板のプランだと思う。

※小立庵は回転寿司の左衛門同様に金沢美味クーポン(1,000円クーポン)が使用可能。クーポン使用で今回の紹介の天ぷら膳が提供されます。

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畳敷きの客室

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蕎麦打ちも見学可能。

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天ぷら膳 1,000円 お盆や箸袋も和風で目でも愉しめます。

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冷たいおそば

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天ぷら 衣が薄くあっさりとした美味しい天ぷら

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いおりご飯

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そば粉ゼリー(左)とごま豆腐(右)

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そばの実の佃煮

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天徳院門前


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【解説記事】
◆珠姫と天徳院
加賀藩前田家は前田利家を藩祖とする江戸時代でも有数の大藩。前田利家豊臣秀吉重臣として秀吉死後の徳川家康の反逆を抑える役割を期待されていたが、秀吉の死後間もなくして利家も死去する。家康は利家の人望や加賀の要地に大領をもつ前田家が天下取りの障害になるとして虎視眈々と前田家の征伐・取り潰しを狙っていたが、運良く利家が死去したことから、二代藩主である利長に対して無実無根にもかかわらず謀反の疑いをかけ加賀征伐を起こそうとした。後を継いだ利長には亡父利家の遺言を守る様な覇気ははなく、前田家を守るために母である「芳春院(お松の方、前田利家正室)」を江戸の徳川家康に人質に出すと同時に、家康の孫(家康の三男秀忠の次女)である「珠姫」を自分の後継者である弟の前田利常の正室に迎えることで、前田家が豊臣派ではなく徳川派であることを示し、豊臣家から徳川家康に鞍替えすることで加賀百万石を守った。
もっとも父利家も元々は織田信長重臣であったが、信長死後に織田家を支えようとする同僚の柴田勝家を裏切り、織田家から天下を簒奪した秀吉に鞍替えをしており、戦国の武士として「家を守る」行為を父と同様に利長も選んだと考えれば決して卑怯な行為と決めつけるものではないと思う。
前段が長くなったが、珠姫はそのような前田家と徳川幕府との外交関係により関ヶ原の戦いの翌年に3歳で加賀に輿入れを行い、14歳で三代藩主利常と結婚し、24歳の若さで亡くなるまで3男5女を生んだとされる。毎年のように身籠っており今から考えると恐ろしい話だが、夫婦仲は円満でありそれ故に子宝にも恵まれたようだ。また、珠姫の死去の原因が、珠姫の実家である徳川家の情報が珠姫経由で有力大名である前田家に伝わることを恐れた関係者が利常に嘘をついて珠姫と会えないようにしたため、事情を知らない珠姫は利常の愛が無くなったと悲嘆に暮れて死去したとの逸話もある。
このように政治に翻弄され若くして死去した珠姫を後世にも伝えている場所が、天徳院である。

◆小立野寺院群と金沢城
小立野台地は犀川浅野川に挟まれた台地で、金沢城から見て南東側にある台地に「小立野寺院群」と言われるエリアがある。北東の「卯辰山山麓寺院群」、南西の「寺町寺院群」と合わせて加賀藩三代藩主・前田利常が整備した寺院群だ。通説では各寺院群ともに金沢各地に点在していた寺院の統制とともに、寺院の石垣等を金沢城の外郭として機能させる対徳川幕府用の防御機構も目的としていたとされる。
江戸時代の城下町では戦に備えて堀や石垣を広く造り要塞化を図りたいが、公然と防御力の高い城を築城すると幕府に嫌疑をかけられる可能性が高いため、石垣や土塀等で囲いがされている寺院を並べることで外郭とする大名もいた。
加賀100万石の大藩となった前田家は徳川幕府の仮想敵となっていたこともあり、密かに幕府との戦に備えて寺院でカモフラージュした城下町作りを行っていた。