peach's blog

北陸のお酒や温泉をメインに徒然と綴っています。

北陸の縁結びスポット 羽咋市「能登国一宮 気多大社」

結びと多くの気が集まるパワースポットとして有名な気多大社
お参りに行くと、お母様方が集まって息子の縁結び祈願に参拝している風景を見かけることがあった。独身時代は自分も縁結び祈願に一人で来ていたので、お母様方の「全然縁がないのよ~」的な会話が聞こえてくると気をもらいに来たのに逆に気持ちが萎えてしまったのを思い出す。まあ今はちゃんと縁があったので、気多大社のパワーの効果もあったのだろう。
なお、気多大社ではお守りを買うと、A4版に「気」と大きく書かれた紙をお守りと一緒に渡してくれる。印刷なので神様のご加護がないような気もするけどありがたく頂戴している。
最寄りはJR七尾線羽咋駅になるが歩くには距離があるので、タクシーか車で行くのがベター。
ちょっと石川県外からアクセスしづらい神社だが縁結びのご利益はあると思うので、北陸観光にくるなら立ち寄ってもらいたい神社だ。

 

 

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【個人的な気多大社の由来等の考察】
祭神は大己貴命、すなわち出雲大社の祭神である大国主命である。起源は不明だが崇神天皇の御代に勧請されたとの記録があり、少なくとも天平20年(748年)には越中守であった大伴家持が参拝していることから、それ以前には神社または祭事の中心地として確立されていたものと思われる。
大国主命大和朝廷天照大神)に国を譲ったとの故事から、個人的には大和朝廷に滅ぼされた山陰地方の有力者であったが何らかの事情で滅ぼされ、その怨霊を鎮魂するために当時最大級の建築物である出雲大社を造営し神として祀られたものと考えている。
出雲大社気多大社日本海側に面しており、このころ既に山陰地方と能登地方において海路での交流が盛んだったのではないだろうか。現在でこそ気多大社付近は日本海近くの田舎町だが、当時は海路で山陰や九州、果ては朝鮮半島とも接続され、経済的にも宗教的にも重要な地域だったのだと思う。だからこそ朝鮮半島にも進出し、東アジアにおいてグローバルな活動を行っていた大和朝廷が、自分たちが滅ぼした山陰地方の勢力の影響下にあり、日本海を介した経済的・軍事的にも重要な地域であった羽咋の地に(近年、気多大社の近辺で縄文前期から中期に比定される祭祀の遺構や出土品が発見されていることから、大和朝廷の勢力が及ぶ以前から山陰地方との交流で既に宗教的な建築物があり、北陸地方における政治・流通・宗教の中心地になっていたのかもしれない)出雲大社と同様の祭神を祀ることで、大和朝廷に出雲勢力が屈したことをアピールするとともに、出雲勢力の影響下にあった人々を懐柔するために気多大社を建立したのではないかと考える。
そうしたことから、平安時代には日本において出雲大社同様に霊験あらたかな神社として認識され、中世の武士の時代になっても信仰の対象として保護されてきたのではないだろうか。
現代よりも交通手段が発達していない中で、日本中、いや日本海全域において活発に交流していたのではないかと考えると、古代の人々のバイタリティが見習わなければと思う。 

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